ちょぴん先生の数学部屋

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数学者の330年にわたる因縁のバトル ~フェルマーの最終定理~

皆さんは、こんな問題を見たことがありますか?

 

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これは、「フェルマーの最終定理」と呼ばれる問題で、言わんとしていることを理解することはさほど難しくないと思います。例を挙げてみましょう。

n=1だったら、1+2=3, 4+6 =10みたいにいくらでも(x,y,z)の組み合わせがあります。n=2だったら、3^2 + 4^2 = 5^2 みたく(x,y,z)の組み合わせが簡単に見つかります。

同じように、n=3,4,5・・・のときも、手当たり次第に探せば(x,y,z)の組み合わせが奇跡的に見つかりそうな気がしますよね。。

ところが、この定理の言っていることは、「nが3以上だったら、いくら探しても(x,y,z)の組み合わせはないよ!」ということです。

 

一見すると簡単そうに思えるこの問題、実はこの世に出て以来、330年もの間誰も解くことができなかった、「史上最大の数学の難問」の1つなんです。

 

今回は、この問題と戦った数学者の壮絶なドラマを簡単に振り返ってみたいと思います。

 

1. フェルマーの最終定理の生い立ち

 

最初に、この問題の生い立ちから説明しましょう。

 

今から約400年前のフランスに、フェルマーという弁護士がいました。彼は本業である弁護士の他に、趣味で数学を嗜んでいました。

この趣味にすぎなかった数学の分野で、フェルマーは天才的な才能を発揮することになります。その業績たるや、あのデカルトと一緒に「座標軸」の概念を作ったり、確率論の基礎を築きあげてしまったりと、、、色々すごい人です。

 

そんな彼は、古代エジプトの数学者ディオファントスの書いた「算術」という数学書を愛読しており、その余白に自分の思いついた定理を書き込んでは遊んでおりました。。その数48個に及びましたが、肝心の証明を書き残しませんでした。

 

フェルマーの死後、彼の息子が書き込み付の「算術」を出版したことで、これら48個の定理が公のものとなりました。早速、数学者たちはその48問を解き始め、47個は(否定的な証明含めて)無事解かれました。ところが、どうしても解けない問題が1つだけ残ってしまいました。

 

それこそが、今日「フェルマーの最終定理」と呼ばれる問題だったわけです。誰も、正しいという証明も、(x,y,z)の組み合わせを見つけることもできなかったのです。

 

ちなみに、この問題について、フェルマーがこんな言葉を残しています。

「私は、この定理について真に驚くべき証明を発見した!しかし、それを記すには余白が狭すぎる・・

こんな思わせぶりな一文のせいで、後の世のどれだけの数学者が人生を狂わせられたことやら・・

 

こうして、330年にも及ぶ数学者の戦いの火蓋が切って落とされました!

 

2.フェルマーの最終定理を解く、最初期のアプローチ

 

この問題を解くに当たり、いきなりすべての無限に続くnについて証明するのは難しいと思われたため、数学者たちはnを3から順に1個1個証明して手がかりを掴もうとしました。幸い、フェルマー自身が、n=4の時については証明を残していましたので、いいきっかけになったのだと思います(n=4の場合の証明はこちらです。フェルマーが余白に書き残した証明 ~フェルマーの最終定理のn=4の場合の証明~ - ちょぴん先生の数学部屋)。

 

オイラーは、複素数の知識を使うことによって見事n=3の場合の証明に成功します。(n=3の場合の証明はこちらです。フェルマーの最終定理のn=3の場合の証明 - ちょぴん先生の数学部屋)

また、画期的なことに気付きました。

この問題は、nが素数の時だけ調べればOKっすよ

というのも、例えば、もしn=3のときにフェルマーの最終定理が成り立っていれば、n=3mのときも、

x^3m + y^3m =z^3m ⇒ (x^m)^3 +  (y^m)^3 =  (z^m)^3 となってn=3の場合に持ち込めるからです。

つまり、n=3が証明できれば、nが3の倍数の場合はすべて証明できたことになる、ということです。

 

これで、「nは3以上の自然数」から「nは3以上の素数」と大幅に候補を絞ることができました。これは大きな前進といえます。とはいえ、素数は無限個あるので、まだまだ厳しいのですが。

 

その後、ディリクレやルジャンドルによって、n=5の場合が証明され、ラメたちによってn=7の場合が証明されました。また、ソフィ・ジェルマンという女性数学者によって、

(x,y,z)の組み合わせがある場合は、どれかがnの倍数でないといけない」という定理が証明されました。

 

が、n=7の証明があまりに複雑怪奇だったこともあり、n=11以降の検討はとん挫します。

この間も、多くの数学者が挑戦しましたが、大きな進展もなく時間ばかりが過ぎていくことになります。。。とはいえ、証明にこそつながりませんでしたが、フェルマーの最終定理を解くためのアイデアがいくつも編み出され、そのアイデア新しい数学の概念を生み出すことに繋がっていったので、決して無駄ではありませんでした。

 

 

3.日本人数学者の一大予想が、大きな手掛かりに

 

第2次大戦の後、転機が訪れます。

日本人数学者、谷山豊さんと志村五郎さんによって、ある予想が提唱されました。

「楕円関数は、すべてモジュラーである」(谷山志村予想)

 

数学の専門家でない私には何語をしゃべっているのかさっぱりわかりませんが、以下の例えの超難しいバージョンだと思えばOKです。

「方程式の難しい問題は、図形を使うとうまく解けるよ。図形の難しい問題も、方程式を使えばうまく解けるよ」

つまり、「一見関係のなさそうな2つの分野が、実は繋がっているんだぜ」という一大予想です。

 

そして、30年後、フライという数学者がこんなことを言い始めました。

「もしフェルマーの最終定理が間違っていたら、モジュラーじゃない楕円関数ができるよ」

 

以上を踏まえると、こんな論理構造になります。

 

仮定:フェルマーの最終定理が間違っている

モジュラーじゃない楕円関数ができる

谷山志村予想 「楕円関数は全部モジュラー」 に反する

谷山志村予想は間違い

 

これは、逆に言えば、、、

 

仮定:谷山志村予想が正しい

楕円関数は全部モジュラー

フライの言ったモジュラーじゃない楕円関数は存在しない

フェルマーの最終定理が間違い」という仮定が誤り

フェルマーの最終定理は正しい!!

 

ということになり、要するに、「谷山志村予想が正しい」と証明できれば、「フェルマーの最終定理は正しい」と証明できたことになります。

 

ということで、ラスボスがこの谷山志村予想であり、これさえ攻略できればフェルマーの最終定理を倒せることがわかったのです。

 

しかし、この谷山志村予想が難攻不落の要塞で、なかなか証明できませんでした。そんな難題に無謀にも挑戦した数学者が、アンドリュー・ワイルズさんです。

 

4. アンドリュー・ワイルズによる完全決着

 

ワイルズは、10歳の時に図書館で、このフェルマーの最終定理と出会います。

「この問題は自分が解いてみせる!!」と憧れ、数学者となりました。

しかし、大学の先生から「フェルマーだけはアカン!!」と反対され、楕円関数という分野で研究を続けることになります。というのも、すでに多くの数学者を地獄送りにしてきた曰くつきの問題だったので、この問題を解こうとすることで数学者人生を棒に振ってほしくない、という先生の思いやりがあったわけです。

 

ところが、先の「谷山志村予想がフェルマーの攻略に直結する」、つまり自分の専門分野の楕円関数がフェルマーの最終定理の解決に繋がっているという事実を知り、子供の頃から憧れていたフェルマーの最終定理の証明に没頭することになります。

 

人目につかないようにひたすら家に籠って、7年もの間、この証明だけに人生を捧げました。その際には、これまでの別の成果を薄く引き伸ばして論文を小出しにするという時間稼ぎまでやっていたそうです。

 

そして、目途の付いた1993年に、大学で講演会を開きます。まったく無関係のタイトルで始まった講演でしたが、噂が数学界隈を飛び交います。「ひょっとしてワイルズのやつ、フェルマー解いちゃったんじゃないの!?」 

3日にわたる講演の末尾、「よって、フェルマーの最終定理が証明されましたQ.E.D

 

こうして、フェルマーの最終定理が解かれた、、、と思いきや、ワイルズの提出した論文に致命的なミスがあることが判明してしまいました。

 

ワイルズはなんとかミスを修正しようともがきますがうまくいきません。今までたった一人で取り組んできたワイルズですが、この局面では教え子たちの力も借りることにします。

 

しかしうまくいかない。。もう諦めようか。。せめて何がいけなかったのかを見直してみるか。。

 

と思った瞬間に、とてつもないアイデアが頭に湧き、ミスの修正に成功しました。最初の講演から2年後の出来事。

 

こうしてミスを修正した論文を改めて1995年に提出、ミスがないことが確かめられ、ついに、フェルマーの死後330年もの壮絶な戦いに終止符が打たれました。。。

 

 

5.まとめ

 

フェルマーの最終定理は、前述のように中学生程度の知識があれば簡単に理解できる問題なのですが、その証明は、それと裏腹に、あらゆる分野の最先端の数学の知見を総動員した長大なものでした。。たしかに並大抵の余白には書けっこありません。

 

これを(楕円関数とかモジュラーとかいう概念が存在してない)400年前のフェルマーが自力でできたとは到底思えないので、「フェルマー自身の証明したn=4の証明が、ほかの数字の場合にも使えると勘違いしてしまった」というのが現在の定説となっています。

 

「問題文の意味は簡単なのに、解くのが超絶難しい問題」の典型として、フェルマーの最終定理は多くの人を魅了しました。

そして、あの書き込み、「私は真に驚くべき証明を発見した」というフェルマー自身の発言から、「ひらめきがあればいけるんじゃね?」と多くの人を勘違いさせた挙句、人生を棒に振って地獄送りになった何人もの屍・・・証明に成功したワイルズも、人生を棒に振っていた可能性が大いにあったわけです。

 

そんなリスクを承知で、この問題に挑み続けた数学者に敬意を表します。

 

実は、ワイルズ自身の「谷山志村予想」は、特殊な場合に限られていたそうですが(それでもフェルマーの最終定理を証明するには十分でしたが)、後に彼の弟子たちの手によって、特殊じゃない場合も含めて完全に証明されることになります。

 

今では「モジュラー定理」と呼ばれて、数学の研究を1段上の世界に導いたといわれています。

 

フェルマーが趣味で書き込んだ定理が、330年かけて多くの数学者のバトンを受け継いで解明され、結果数学の世界を大きく進歩させた。。

 

実にロマンあふれる実話だと思います。