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8割おじさんへの見当違いな批判 

皆さん、こんにちは。

 

3/21に2度目の緊急事態宣言が解除されました。

その直前に、8割おじさんこと、京都大学の西浦博教授が以下の様な声明を出しました。

 実に真っ当な内容の声明文だったのですが、リプ欄、引用リツイートともに多数の批判が書き込まれておりました。内容は概ね以下に集約されます。

 

「42万人死ぬとか言ってたが、そんなに死ななかったじゃないか!!」

「お前が煽ったせいで、経済が甚大な被害を受け自殺者も増えたじゃないか!!」

 

確かに西浦モデルの検証、アップデートが必要なのは論を待ちませんが、以上2件の批判はいずれも的外れの批判だと言わざるを得ません。

 

なぜそう言えるのかをこの記事では解説します。

 

1. 「42万人死ぬとか言ってたが、そんなに死ななかったじゃないか!!」という批判がなぜ的外れか?

 

これは、「予測の前提条件」に起因する誤った批判です。

 

西浦先生は、昨年4月の1回目の緊急事態宣言の直前に、「何も行動制限をかけなければ、42万人が死亡する恐れがある」と警告しました。

www.asahi.com

 

そして、蓋を開けてみれば宣言終了時(5月末)の死亡者数は、1000人以下でした。実に3ケタ近く死亡者数が少ない結果に終わったわけです。

 

これを以て「予測より死亡者ははるかに少なかった。予測はインチキだった」という批判が起こったわけですね。

 

しかし、西浦先生の主張をもう一度よく読んでください。

何も行動制限をかけなければ、42万人が死亡する恐れがある」

 

「何も行動制限をかけなければ」という前提条件があります。

 

しかるに、実際には国民が自主的に自粛など対策をするようになり、政府の緊急事態宣言で一層強い行動制限がかかりました。つまり、「何も行動制限をかけなければ」という前提条件が現実には成り立たなかったわけです。

 

そうなると、その現実に成り立たなかった前提のもとに算出された「42万人死ぬ」という予測は、そもそも外れて当然である。といえます。

 

だから、「42万人死ぬとか言ってたが、そんなに死ななかったじゃないか!!」というのは批判になっていません。

 

ここで、以下の3つの疑問点が湧いてきます。

1. 前提条件を正しくすれば、西浦モデルは合っているのか?

2.  (何も行動制限をしなかったというのが正しかった場合)42万人という数字に妥当性はあるか?

3. そもそも、なぜ外れると分かり切った予測値を出したのか?

これらについて、答えていきましょう。

 

1. 前提条件を正しくすれば、西浦モデルは合っているのか?

 

これは、残念ながら「前提条件を正しくする」のがそもそも非常に難しいと思います。

私自身は西浦モデルの詳細はよく知りませんが、以下のパラメータが必要なのだろうと推測します

(1) 手洗いうがいマスクといった個人でできる対策を、どの程度の割合が実施しているか?

(2) 外出率がどの程度か?

(3) ウイルスの特性 (基本再生産数、致死率)

(4) 病床の逼迫がどの程度か

 

これらは事後的にであれば検証可能と一見思われますが、特に(1)なんかはデータすら取れないので検証が難しいのではないかと思います。他にも測定困難なパラメータがあるのかもしれません。

 

私は本業で車のボディの強度シミュレーションを行っているのですが、「クルマを、牽引フックを介して引っ張った時に、どう動いて変形するのか」という簡単な現象でさえ、正確に予測するのは非常に難しいのです。

・クルマがどう固定されているか

・牽引フックとロープの接触面がどう滑るか

・どこまで厳密に材料特性を織り込むか

・そもそも変形をどうやって測るか

少なくともこれだけの情報を知らないと精度の高い予測はできず、実験で測定するのも中々に難しい。

 

まして、感染拡大については何度も実験して測定するわけにはいきませんし、人々の行動は気まぐれです。とてもではありませんが、前提条件を正しく事前に把握することなどできそうにありません。

 

だから、「何も行動制限をしない場合」という前提でしか、事前予測はできなかったのでは、と私は考えています。

 

 

2. (何も行動制限をしなかったというのが正しかった場合)42万人という数字に妥当性はあるか?

 

現実の日本が行動制限をかけていたので、42万人という数字が妥当だったかどうかを直接検証するすべはありません。行動制限をかけていなかった国の実績を参照して、相場値を見るしかないでしょう。気候や文化が異なるので、あくまで参考ですが。

 

行動制限をかけなかった著名な国として、北欧スウェーデンが挙げられます。スウェーデンについては、先日累計の死者が1万人を超えてしまったと報道されましたね。スウェーデンの人口は日本の約1/10なので、この死者数を日本の人口に換算すると、約10万人以上が死亡したということになります。

 

およそ6ケタ台と言う事で、西浦先生の出した42万人というのも、そんなに的外れな数字ではなかったのではと思います。私の本業たるシミュレーションでも、ものによっては予測精度は桁があっていればよし、なんていう評価項目はざらです。

 

 

3. そもそも、なぜ外れると分かり切った予測値を出したのか?

 

それは、この西浦先生の予測値が「リスク管理のための目安として使う」「国民に危機意識を持ってもらう」ために算出されたものだからです。

 

こう例えると分かりやすいのではないでしょうか?

「もし南海トラフ地震が起こった場合、防災対策が現状のままだと○○万人死者が出る恐れがある」

こういった予測値を地震学者、土木学者が出したとしましょう。

 

これを聞いた国民や政府は、死亡者を減らすために一層災害対策に努めるモチベーションを持ちます。結果対策が進み、実際の死者は予測値よりもはるかに激減できるはずです。

 

つまり、○○万人の死者というのが現実にならないように対策を促すための予測です。

西浦先生の42万人という数字も、同じ目的で算出された予測です。

 

感染拡大は、国民が一丸となって対策に取り組まなければ早期の収束は望めません。ここで、より現実に即しているからと必要十分な死者数を提示したとすると、「なんだ、この程度しか死なないんじゃん」と楽観視して対策を怠る人が必ず出現します。それでは本来実施すべき対策レベルが実現できないことになります。

 

本来実施すべき対策レベルを実施させるには、それ以上のオーバーな目標値を掲げるのがリスク管理の基本になります。モノづくりでいう「安全率」と同じような考え方です。

 

 

以上の考察から、「42万人死ぬとか言ってたが、そんなに死ななかったじゃないか!!」という批判は、批判になっていません。危機感を覚えさせ対策を促すのが目的の予測なので、外れて当然、というかむしろ(低く出て)外れてくれなければ大失敗の予測というわけです。

 

実際、1回目の宣言終了時までに死者を1000人以下に抑えることができ、感染拡大への対策としては成功だったわけです。想定よりも死者が遥かに少なく済んだ。「杞憂だったね」と素直に喜ぶべきはずのことです。

 

あてが外れて42万人よりも多くの死者を出したという話であれば批判されて当然なのですが、死者を最低限に食い止め成功したのに「外れた」と批判されるのは、西浦先生としてはたまったものではないでしょう。こんな理不尽な批判を許せば、次にパンデミックが起こった際に誰も予測値を算出してくれなくなりまります。

 

そもそもが対策を促すための過大予測である、ということを認識したうえで、42万人という数字を見なければダメです。

 

 

2. 「お前が煽ったせいで、経済が甚大な被害を受け自殺者も増えたじゃないか!!」という批判がなぜ的外れか?

 

これに関しては手短にいきます。

 

自粛を始めとした行動制限は、当然ながら経済を停滞させるという副作用をもたらします。それに伴って自殺者が増えるというのも一理ある話ではあります。

 

しかし、これは西浦先生の提言のせいで起こったものなのでしょうか?

 

西浦先生は、あくまで疫学者として「感染拡大を止めるには、8割減の行動制限が必要である」と提言したにすぎません。

 

他方、経済への影響を気にする社会学者や経済学者は「8割自粛なんてやったら、経済がダメージを受け、自殺者がこれだけ増えてしまう。だから自粛の度合いを下げるか、やるにしてもきちんと粗利補償をするべきだ」などと提言するでしょう。

 

これら様々な専門家が自らの見地から提言を出すわけです。

これらをテーブルに乗せたうえで、最終的にどういう政策を打つのかを判断するのは政治家です。

 

よって、感染症対策の政策の結果経済ダメージや自殺増に見舞われた場合、責任を負うのは政治家であって、西浦先生ではありません。

 

西浦先生の「8割自粛」を採用するなら、それに伴う副作用を緩和する対策を講じる義務が政治家にはあるわけです。

 

経済被害・自殺増に関することで批判をすべきなのは政治家であって、西浦先生ではないのです。だから、「お前が煽ったせいで、経済が甚大な被害を受け自殺者も増えたじゃないか!!」という批判も、お門違いなわけです。

 

 

以上の様な的外れな批判をするのは止めましょう。こんな批判をしたところで、何の良いこともありませんので。